文鳥・夢十夜
夏目漱石著 新潮文庫
ISBN 9784101010182
☆☆☆★★★
先日見た映画の「ユメ十夜」の記事のために再読したもの。
「こんな夢を見た。」という一語からはじまる十編は、いずれもどこまでが彼の実際の夢で、どこからが虚構なのかはわからないけれど、こうして漱石が「夢」と言うものを作品化した事は、本当に興味深いです。
研究者の間では、この作品は、漱石の無意識下にある、願望、不安、恐怖、虚無などを描いた作品として心理学的に論じられる事が多いらしい。とらえどころのない「夢」と言うものをここまでの作品に仕立て上げた漱石の筆の力に感心するとともに、人間の潜在意識を脳内で映像化して見せる「夢」と言うものにあらためて興味が湧いてきました。
昔、フロイトの「夢判断」「精神分析学入門」を読んだのですが、当時は「何か違うんじゃないか?」という疑問を感じたものでした。何だか、あらためて読んでみたくなっています。
「文鳥」は短く、儚く、心に寂しさを感じさせる作品でした。飼っていた小さな文鳥を不注意から死なせてしまうまでの短編ですが、漱石は鳥の姿に、昔、関係を持った女性の姿を重ねあわせて描いていく。「たのみもせぬものを籠へ入れて」死なせた文鳥の命のはかなさと、残酷さ。鳥のかわいらしい仕草や、「千代々々」(ちよちよ)と聞こえてくる鳴き声の描写に、鳥を飼っている者としては胸がしめつけられます。
さて、この作品には、エッセーの様な小品が幾つか収録されているのですが、今回の読書ではそちらの作品群の方に、より心を動かされました。
「永日小品」の中で描かれる、小さなスケッチの様な文章は、様々なテーマで描かれていて、とても楽しく、漱石の人となりも身近に感じられます。元旦に高浜虚子と謡をうたうエピソードだとか、泥棒に入られた話だとか、イギリス滞在中の幾つかのエピソード、子供時代の思い出などが小さな文章にまとめられ、私はとても楽しく読みました。
「思い出す事など」は、胃潰瘍で大量に吐血し、生死の境をさまよった後に、療養し回復するまでの漱石自身の心中が語られていて、これは本当に胸をうちました。死を目の前にした彼は、自らの人生に対する様々な思いを告白していく。ひとつひとつの段落の最後には、必ず俳句か漢詩が読まれています。
漱石は門外漢の作品である自分の俳句や漢詩が、決して上出来のものではない・・と前置きをした上で、次の様に語っています。
「前略 病中に得た句と詩は、退屈を紛らすため、閑に強いられた仕事ではない。実生活の圧迫を逃れた我が心が、本来の自由に跳ね返って、むっちりとした余裕を得た時、油然と漲り浮かんだ天来の彩紋である。後略」
そしてこの心情(風流を盛るべき器)が、「不作法な十七字と、佶屈(難解)な漢字」である事を忍んで、風流を這裏に楽しんで悔いざるものであると語る。
江戸時代末期に生まれ、明治維新を経て、西欧と格闘し続けてきた漱石の、絶ち難い東洋への想いが感じられると同時に、この時期を境にいかに多くの古き美しいものを、日本人は捨て去ってきたのかを痛感もしました。
後書きの解説の中でとりあげられていた漱石の言葉が興味深かったので、最後に。
自然主義(リアリズム)者達から漱石の文学は「拵えもの(こしらえもの)」であると批判された彼は、「拵えものである事を苦にするよりも、活きているとしか思えぬほどに拵えることに苦心したら如何か」と反論しているそうで、私は痛快に感じました。
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